グレイシー柔術の誕生
ブラジリアン柔術とは、寝技を主体とする組み技系の格闘技です。その歴史は、1914年にブラジルへ渡った講道館柔道の猛者・前田光世(通称コンデ・コマ)が、地元の有力者であったガスタオン・グレイシーの長男カーロス・グレイシーにその技術を伝えた事に端を発します。カーロスはその後自分の兄弟達にも柔術を教え、末弟のエリオ・グレイシーと共に技術革新をもたらしました。グレイシー柔術誕生の瞬間です。
カーロスとエリオは、 グレイシー・チャレンジと呼ばれる他流派とのバーリトゥード(何でも有りの意)ルールによる試合を、道場や公の場で数多く行い、グレイシー柔術を発展させていきました。一族に受け継がれた技術は、その後も80年間に渡り独自の進化を遂げました。グレイシー柔術の存在は、1993年にアメリカで開催された究極の格闘技イベント『アルティメット大会(UFC)』においてそのベールを脱ぐことになりました。
『目潰し』と『噛み付き』以外は何をやっても良いという極限のルールにおいて、自分よりはるかに大きな体格の相手を何人も倒し、ほとんど無傷でトーナメントを勝ち抜いたのは、エリオ・グレイシーの六男ホイス・グレイシーでした。ホイスの活躍により、グレイシー柔術の技術はこのあと世界中から脚光を浴びることになりました。
スポーツとしてのブラジリアン柔術
グレイシー柔術は、現在では『ブラジリアン柔術』の呼称で広く認知され、グレイシー一族以外の人達も世界中の道場で学ぶことが出来ます。ブラジリアン柔術は格闘技としての実戦性を備えていますが、基本的には身を守るための技術であり、最高の護身術なのです。
整備されたルールの中で試合が行われる競技としてのブラジリアン柔術は、ゲーム性の高いスポーツとして今もっとも注目されている格闘技です。打撃攻撃は禁止されており、投げ技、押さえ込み、関節技、絞め技により試合の勝敗を決します。
日本では約3万人とも言われる競技人口を有し(2007年現在)、日本ブラジリアン柔術連盟には250の団体が加盟し(2007年現在)、毎週のように全国各地で競技会が開催されています。